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『筆禍史』 宮武外骨著

 筆禍とは字の如く、文章を書く事により、わざわいを招いてしまったということ。この本はその筆禍の歴史を記録したもので明治44年刊。著者は日本で初めてのジャーナリストといえる、ご存じ、宮武外骨である。
 私の手許にあるのは復刻版だが中身は明治期のまま。したがって旧かな、文語調で実に読みにくいが我慢して読みすすむほどに面白い。内容を一口に言えば「禁止図書解題」=宮武曰く である。
そして 「時代を知り、時代の犯罪を知り、時代犯罪の変化の妙理」を知ってほしいとある本著は文字の他は、そう難解なこともなく時代を読める。また、歴史上の有名人が次々に登場するので退屈はしない。
 禁止図書(発禁本)の定番である色事や暴露記事もあるが、主流は時の体制や権力に批判的な文章に対する弾圧史とみていい。
 今なら普通に書ける記事で首が飛ぶ時代は、くわばらくわばらであるが、平成の国家権力も見かけは大人しいが、それは慇懃なだけで、実はそう変わらないのかもしれない。
 本著の中身は追々、ここに書いて行くつもりだ。
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日本人漂流記

 漂流記はガキのころから好きだった。「十五少年漂流記」「ガリバー」などは夢中で読んだものだ。
 「無人島に一人で漂着したらどうして暮らそう」なんて真剣に考えていたものだ。
 最近、「漂流」や「難破船」を調べる必要があって、いくつか史実を拾うために本を読んだ。江戸時代以前には記録が少なく伝承に近いだが、江戸初期からは列記にいとまがないほど「漂流」や「難破船」の歴史があった。
 「ジョン万次郎」や「にっぽん音吉」は有名作家が書いて知られているが、ほとんど知られていない話もたくさん見つけた。
 個々の紹介は別の機会にするが、日本近海で難破した船が、数ヶ月あるいは数年間、太平洋の真ん中を漂流する模様は想像しても恐ろしい。江戸期、難破する船はいわゆる千石船が多く、米などは荷として積んであるので飢えはないのだが、野菜がないから脚気のような病気になる。狭い船内で10人ほどの人間関係もあやしくなる。死に直面しているのだから当然だ。
 運良くアメリカやロシアに漂着しても、そこには壮絶なドラマが待っている。
 人間の本性。あるいは人間の尊厳をみることが出来るのが「漂流記」だ。

テーマ : 歴史・時代小説 - ジャンル : 本・雑誌

新美南吉と宮沢賢治②

 南吉と賢治の文学性の違いを書こうとしていた。
 しかし、取り組めば取り組むほど難物である。それは両方とも「凄い」からだろう。
 私の好みで言えば、空想的な賢治より写実的現実的な南吉の方が数段いいが、もう少し読んでから発表したい。
 賢治と南吉は年齢差もあるので面識はないと思っていたが、賢治の出版記念会に南吉は北原白秋や巽聖歌のかばん持ち? で出席していた。その後、賢治文学に少なからず影響は受けたようだ。
 大論文になりそうだから、この話題はしばらく休憩。英気を養う。
 南吉の短歌を2首紹介する。「雨ニモ負ケズ」と比べると両氏の違いが際立つて分かる。

  いわれなき悲しみなれや風すさぶ海べの網に鶴見ておりぬ
  もし母が生きているなら本などももっと買いてくれようと思うも

宮沢賢治と新美南吉①

 宮沢賢治や新美南吉に限らず童話はあまり好きではなかった。
 ことに賢治のファンタジーでメルヘンチックな話は嫌いだった。というものの最近は全く読んでいなく、嫌いだったのは青年時代のことだ。その理由は今ならはっきり分かる。当時の僕はプロレタリア文学青年で、折りに触れ「旗」を振っていた若者だったから、あんな甘美な話は即ち、ブルジュア志向だと決め付けていたからだろう。
 まして「雨にも負けず 風にも負けず」もくもくと誰かに奉仕する思想など抹香臭くてならなかったのだ。「そういう人に私はならない!」と思っていたのだ。
 最近必要があって、新美南吉をざっと一通り読んだ。南吉については「ごん狐」など数編を読んだ記憶があるくらいで良い読者ではなかった。しかし、瞠目した。
 「こつは凄い!」。
 そして「東の賢治、西の南吉」と言われているということなので、数十年ぶりに賢治を手にとった。(嫌いだけど書架にあるのが不思議だが、これが宮沢賢治たる所以なのだろう)
 そして読むが、やはりどうも好きになれない。(つづく)
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