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大阪・通天閣界隈そして釜ケ崎 ②

 (つづき)
 ジャンジャン横丁を抜けると西成区に入る。そしてどんどん中に入っていくと通称・釜ケ崎に入る。
 この界隈に棲む人は、ここをニシナリと呼び、行政はあいりん地区と呼び、一般的には釜ケ崎と呼ぶ、へんてこな界隈だ。日本一のドヤ街で、スラム街といってもいい。
 詳しくはこのブログの何回か前の、『釜ケ崎風土記(斉藤俊輔著)』を読んでほしい。できれば同書を読んでほしい。人生観が多少でも変わる。

 ところが久しぶりに行った釜ケ崎だが、以前のような活気がない。スラム街の怖さがない。静かだった。
 道端に寝ている夥しい人々。酔ってうろうろしている地下足袋のおっちゃん。そんな光景は昔と変わらないのに、じつに静かだ。でも人は多い、汗臭い。静かな殷賑って感じだ。
 地下足袋を履いたことのない、ぼくだけど、地下足袋の街が好きだった。地下足袋のおっちゃんは怖かったけど、地下足袋のおっちんは嫌いでなかった。

 さて、そんな話は退屈だろうから、釜ケ崎に隣接する「飛田新地」を紹介しよう。
 600軒もあるという置屋が軒を連ねる飛田新地。置屋の玄関先は、どの店も2畳ほどの見世があり、着飾った綺麗な若い女性と「やり手婆あ」が2人、きちんと並んで座り、道を行く客を手招きしている。化粧をした若い女性も膝をそろえて座っている。時代劇に見る「吉原」のよう― と思えばいい。
 そこは照明も明るく、暗い夜道から見ると、一つの舞台のように見える。
 「うつくしい」、誰もがそう思うはずだ。男性ばかりでなく女性の人だってそう思うだろう。
 手招きに誘われて座敷に上がると何をする? ぼくは上がったことはないので知らないけど…
 不思議なことは600軒の店にすべて若い娘とやり手婆さんがいるのだから、そんな数の「女」がいるのだ。それも娘さんが。

 釜ケ崎、飛田新地。
 ここは日本です。ここも日本です。
 

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テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : 日記

大阪・通天閣界隈、そして釜ケ崎

 ちょっとした仕事があり大阪に行った。久しぶりに通天閣界隈を歩いた。
 この界隈、新世界からジャンジャン横丁(まち)の一帯が、ぼくは大好きだった。「だった」である。

 妙に昔を懐かしがると、時代についていけない年寄りみたいだが、昔はよかった。
 立ち飲み屋、スマートボール、大衆芸能の芝居小屋、ホモ専門の映画館、ストリップ劇場。そうそう、今をときめく吉本興業も当時はジャンジャン横丁の「新花月」が主劇場で、昼席などは客が4~5人なぞは、ざらだった。それに「ソースの二度づけ禁止」の串かつ屋も3~4軒。
 そんな街に、地下足袋のおっちゃん、オカマのねえちゃんなどが入りかって、静かな賑わいをみせていた。
 その頃、若いぼくは、この界隈を足早に、こわごわ通っていた。そして立飲みのカウンターでコップ酒を手に、隣の客の会話(たいがい独り言だが…)を黙って聞いていたものだ。

 それがどうだい、今は。観光客目当ての串カツ屋がずらりと並び、おまけにミニスカートの娘が呼び込みをしている。この界隈に黄色い声は似合わない。
 ちょっと沈んだ空気に、無口なひとたち。そして演歌がどこかから流れて来る。それでなければいけない。
 そんな街が消えてしまった。
           (来客があったので、今回はここまで。つづく)

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ユーモア川柳

 シリアスな話が続いたので、今回は川柳で笑お!
 原句は覚えていないのだが、こんな楽しい句がある。

  妻が好き □□□は もっと好き
  彼が好き □□□は もっと好き

 どっちかなのだが、どっちでもいい。□□□に固有名詞を入れて川柳を完成させるのだ。
 ちなみに例を書けば、

  妻が好き 吉永小百合 もっと好き
  彼が好き 木村拓也は もっと好き

 となる。あるいは

  彼が好き チーズケーキは もっと好き

 なら笑えるよね。僕よりチーズケーキが… トホホ てな具合だ。これ、チーズケーキならまだましで、「赤福餅」だったら本気に落ち込む。

  彼が好き 赤福餅は もっと好き

 どうぞ遊んでみてね。
 笑える句なら、

  試食品 そない食べんと分からんか
  扇風機 ぼくの髪には強すぎる
  
 なども面白いが、

  渋滞の先頭を行く耕耘機
  かかるときポンと出したい金がない
  正直に粗品と書いてある粗品

 は、川柳らしい川柳だ。
 今の季節になると思い出すのは、

  ノースリーブ 大根は足だけでない

 お後がよろしいようで。
(記憶だけで書いたので、語句も不安。作者も省略)

テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

詩人の心

 「ブンヤンさん」(右にリンク)の記事に触発され、埃をかぶっていた金子みすゞ詩集を読んだ。ついでに石川啄木も引っ張り出した。

 みすゞの素晴らしさは健在だった。

 つもった雪

  上の雪  さむかろな。 つめたい月がさしていて。
  下の雪  重かろな。 何百人ものせていて。
  中の雪  さみしかろな。 空も地べたもみえないで。

 何かを思いやる心が溢れている。これが彼女の心。そして薄幸を招いたのかもしれない。
 啄木を読んだ。へたな歌だ。でも私を短歌や詩に導いた張本人がこの男、啄木だ。啄木がいなければ、あの文学少年時代に啄木と出会わなければ、私はフーテンになんかなっていない。
 ―そう思うが、啄木のへたな歌が、どこかいい。それは彼の生きざまが詩人そのものだからだ。
 詩人の値打ちはその生きざまで決まる。

  じゃんけんに負けて蛍に生まれたの  池田澄子

 解説は無用だろう。前世から今世に来る時、じゃんけんポン! 私はさしずめダニかハエ。
 こんな俳句を詠める人は素晴らしい。蛍ばかりじゃない、ダニにもハエにも愛情を持って見てくれるだろう。

 もう一つ思い出した。

  ぼたん雪 牛のまつ毛の上に消え  安川久留美

 久留美という優しい雅号を持つが、酒に溺れた破滅型の川柳作家だ。彼のことを書いてみたいと昔から思っている。
 妻も子も巻き込んだ、この人の壮絶な生きざまも詩人の人生。詩人の生きざまなのだ。

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桜が散った

 私の家の近くに桜の大木が3本もある。樹高は7~8㍍もあろうか。だから、咲くのも派手だが散り方も派手。今の道は桜花びら― といえば綺麗だが、薄汚れたピンクの敷物。
 
 散る桜を見ると思い出すのは、この説。
 桜の人気は散り際の潔さで、それを美しい死と捉え、ことに武士や兵士が好んだ。―それは間違いないのだが、花は自分の意志で散っているのでなく、散らされているのだ。
 実は桜花の短命は別の理由。
 成長の早い桜の木は、いつまでも花の面倒をみていられない。エネルギーがいるからだ。いつまでも花を持っていると小鳥どもに大事な蜜を盗られちゃう。
 そんな無駄はさっさとなくし、幹だけはのびのびと育ちたい。だから桜の花は1週間ほどしか持たず「散らされて」いくのだ。
 夢のない話ですみません。
 この桜論を読んで、大会社と弱小社員の関係、厚生労働省がみる理想の老人像。そんなものを連想した人は文化人の心を持っている人だ。
 文化人のコメントを待ちます。

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